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金色姫伝説

  • 兵主部
  • 2015/10/02 (Fri) 01:43:59

チャット会でも少し触れた金色姫伝説の要約を残しておきます。

「金色姫伝説」
・雄略天皇の頃(欽明天皇の頃との話もある)、天竺に旧仲国があった。
・帝はリンエ大王と言い、后と金色姫がいた。
・后の死後、新たに皇后を迎えるが、その後添えの皇后は金色姫を憎む。
・后は悪獣の住む山に捨てたり、熊鷹の多い山に捨てたり、離れ島へ流したり、生き埋めにしたりするが、姫はその度に助けられた。
・王は姫の身を案じ、他の国へ流した方が安全だと考え、桑の木で船を作り、姫を乗せ流した。
・船は常陸国豊浦湊へ流れ着き、権ノ太夫に引き上げられ大切に育てられる。
・しかし、間もなく姫は亡くなり権ノ太夫夫婦は悲しみ唐櫃に姫を納める。
・その夜、夢に姫が現れ、「食物を与えてください、必ず恩に報います」と告げる。
・唐櫃を開けると、姫は小さな虫になっており、桑の葉を与えたところすくすくと成長した。
・ところが、ある時虫は頭を上げてわなわなとしていた。
・夫婦は驚いたがその夜、再び姫が夢に現れた。
・曰く、「国に居た時、四度の苦しみを受けたので、休眠となって現れているのです。この後繭を作ることを船で学びました」と。
・繭が出来ると今度は、筑波山の仙人が現れ糸を取ることを教えられた。
・これが、この国の養蚕の始まりである。

と、金色姫伝説は大体このような話です。
この伝説は茨城県の蚕影神社に伝わる話だそうですが、1803年(1802年とも)に刊行された上垣守国の『養蚕秘録』という本にも載っているようです。

Re: 金色姫伝説

  • しろた
  • 2020/09/12 (Sat) 18:19:35

スレ保持。後で消します

そかそか

  • しろた
  • Site
  • 2015/12/08 (Tue) 07:05:20

 養蚕の技術が大陸から渡ってきた技術だとすると、信憑性が高くなりますね~。

Re: 金色姫伝説

  • 兵主部
  • 2015/11/01 (Sun) 21:28:22

話は金色姫とは離れますが、養蚕関連の神社と言えば、京都の太秦に木島坐天照御霊神社がありますがここは蚕ノ社とも言うように養蚕の神を祀ってもいます。面白いことに神社の由緒を見ると秦氏の祖先が大陸から渡っていたのが雄略天皇の頃とされています。
金色姫伝説と虚舟に関しては、類似のある点が多い以外には根拠は無い、ただの思いつきなんですが。

兵主部さんへ

  • しろた
  • Site
  • 2015/10/26 (Mon) 13:25:52

 蚕影神社!やはりテレビで観たことありました。
 遠野のオシラサマ以外に養蚕の由来とされている神様がいたんだたって印く象に残っていました。

 チャット会の時は思わなかったけど、改めてレス読ませて戴くとオシラサマと共通している部分もありますね。

・物語の中心となる金色姫もオシラサマの伝承の娘も壮絶な悲劇を辿る。
・物語の終盤では、育てた者へ(オシラサマの場合は実の親)に養蚕の技術を伝える。

 何やら微妙な関連性ゆえに、オラわくわくしてきたぞ。


 金色姫の話は、「漂流物・漂流者」というだけではなく技術を伝えるっていう交易を匂わせる感がありますね。
 虚舟の奇譚にはその辺がどうなのか、気になりました(`・ω・´)。

Re: 金色姫伝説

  • 兵主部さぬ!!
  • 2015/10/04 (Sun) 17:37:10

 チャット会お疲れ様でした^^!

 投稿誠に有難うございます。
 妖怪と神との違いの見解も引用交えて丁寧に書いていただいて、、、。

 じっくり読んでからレスしたいと思うので、お返事に時間が掛かってしまいそうです。すみません><、、!
 気長に待っていただけると幸いです。


 今後ともよろしくお願いします(__)。

Re: 金色姫伝説

  • 雪風
  • Site
  • 2015/10/02 (Fri) 19:09:27

インド、マレーシア、フィリピン、台湾と地図ご覧になれば
おわかりかと思いますが、太平洋を渡るのと異なり、案外と
船で往来がありました。しかしフィリピン台湾沖からは季節によっては
台風などがあり、危険でした。
それで南アジア東南アジアの人が流れ着き、もはや帰ることが
できなくなったことは本当に有ったと思います。
ですから日本人は大陸系の平たい顔と濃いマレー系の顔がいるのだと
思います。
インド人がいても不思議ではないと思います。

ところで。

  • 兵主部
  • 2015/10/02 (Fri) 01:50:02

1803年、享和3年といえば兎園小説などにのる虚舟が常陸国に現れたとされる年ですね。

虚舟の奇談、要約。
・享和三年二月二十二日常陸の国のはらやどりという浜沖に現れた
・舟の形は香入れ物のような感じのの円形で、直径6メートルほど、文字のようなものが刻まれていた
・上はガラス張りで下は鉄
・中に乗っていたのは異国の女性で、箱を持っていた
・面倒ごとをおそれた村人は舟を女性ごと押し流してしまった
・舟に書かれた文字はイギリス船にも同じものがあったという

この虚舟の話、何処か金色姫伝説を匂わせる雰囲気があると思いませんか?
私は、この金色姫伝説を基にして虚舟の奇談が創られたと考えていますが如何でしょうか。