7月の定期茶会の時に宇和島の牛鬼の由来の話しましたが、どうも違和感を覚えてしまうです。
文禄の役で加藤清正が朝鮮との戦いに用いた「亀甲車」が由来と宇和島市観光ガイドに書かれていました。
https://www.uwajima.org/event/index2.html
しかしその亀甲車。
〉堅板で箱の形を作り、それを牛革で包んで、牛の生首を棒に刺しその先に掲げ、中に兵士が入って攻め戦ったものと言い伝えられている。
ってあるんですよね(旧ページよりそのままコピペ)。
牛の生首を棒に刺して掲げるのって、牛の頭部を祀る牛頭天王への信仰と重なるんじゃないかな?って思うです。
道中記で調べたら、浅草の牛鬼は素戔嗚尊と習合した牛頭天王にゆかりがありそうだし(場所が異なれば、ゆかりも異なることもあると思うけど)。
浅草の牛鬼
http://yokaikan.jp/top/reg_sai03.htm#011
でもやっぱり、牛頭天王は朝鮮から渡って来た神さまだから、敵として戦った相手の信仰の対象にならないのかな?ってモヤモヤしてます。
どういうことだろう…(;´Д`)。
考えすぎだろうか…(;´Д`)。